東日本大震災直後の取材

2012年03月22日取材 日本

私の震災取材は、ドイツのシュピーゲル誌のアサイメントで始まりました。
友人の写真家James Whitlow Delano とジーンチャン、日本人の友達のノブさんと一緒に車で2日かけて東北へ。。。。
ガソリンを確保しながらの、移動は大変でした。途中、福島第一原子力発電所の事故のニュースを耳にして、ラジオを聞きながらでも、当時は何が何だか分からない状況で、どの情報が正しいのか全く分かりませんでした。。。

始めて、釜石と大槌の被災地に足を踏み入れた時のあまりの被害の大きさに、声が出ませんでした。
必死に取材を続けて、5日後Jamesとノブさんが一度東京へ帰ることになった。取材を続けなければと思っていても、私は運転免許がなかった。その時、友人のダミルが震災の取材で日本に来ていることを思い出し連絡した。ロイター通信のカメラマンのダミルは、ロイターのチームで岩手の遠野に拠点を置いていた。
免許を持っていない私は、ダミルにお願いし、しばらく車に同乗させてさせてもらった。カメラマンの方たちも記者の方たちも本当に温かい人たちばかりだった。

ダミルにはパキスタンの洪水の取材の時も、お世話になった。ニュースの撮影取材が始めてだった私に、技術面はもちろん、動き方、写真編集の仕方、取材の倫理について本当に大切なことを現場で教えてくれた。

3月の終わりには、タイから取材に来ていた、カメラマンのAthit Perawongmethaも合流した。アティットは、フリーランスのカメラマンとしてGetty Imagesから写真を配信してた。ダミルが帰った後は、2人で福島へ移動。福島での取材を続けた。
日本語の分からないアティットは、自分の資金で日本へ取材に来て、私に合流する前は、通訳を雇わず(日本で通訳を雇うと高いのだそう)、自転車を借りて雪が降り注ぐ東北の被災地を回って撮影をしていたそうだ。

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ダミル(左)、私、アティット(右)   気仙沼にて

 

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福島県、双葉町の海岸部を歩くアティット。日本に来る前に、タイで既に防護服とマスクを調達してから日本に来たと言っていた。。。しかも、私の分まで。準備がすごい。

 

 

 

 

久しぶりに。。。。

2011年10月09日取材

3月11日の東北大震災から7ヶ月が経とうとしていますが、今まで取材、撮影が重なりブログを更新する時間もありませんでした。。。(時間を作ろうと思えば、出来た事かもしれないけど、単なる怠けなのか。。。)

この間、月の3分の2以上の時間を東北で過ごしました。5月からは福島での取材が中心になり、東京ー福島を往復する日々が5ヶ月続きました。ただ、今までの仕事と違い、この7ヶ月間は全て海外の雑誌のアサイメントの仕事で取材をしていたので、自分の取材が出来ませんでした。。。ただ、その期間中に発表した写真を紹介しながら感じた事などをこれから書いていきたいと思います。そして、これからは少しづつ自分の撮影が出来ればいいなと。。。

 

今日は、ドイツの雑誌「Der Spiege」の取材で8月に撮影した福島第一原発のある警戒区域内の牛舎の写真。

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首を固定されたまま餓死した牛の死骸がありました。。。

福島の撮影はこれからも続けていくので、またアップデートするつもりです。