震災直後から4月始めまでの3週間、撮影をして車の中で編集、インターネットが繋がる環境になったら写真を配信してという毎日の繰り返し。全ての写真に英語でキャプションを書くのに時間がかかって、ヘトヘトになりながらの取材だった。。。
被災地で出会った、ボランティアの方々や被災をされた方々のことを考えると、もっと頑張らなくてはと思いました。
これは、4月のSpiegel誌で最初に掲載された震災の写真です。南三陸町の沿岸部を歩く男性の写真。
この時一緒だったドイツ人の記者Walterは、かなりのベテラン記者で、少し気難しい所もあったけど、いい人でした。今でも被災地の事を気にされて時々連絡をくれます。
[DER SPIEGEL April 10 2011]
私の震災取材は、ドイツのシュピーゲル誌のアサイメントで始まりました。
友人の写真家James Whitlow Delano とジーンチャン、日本人の友達のノブさんと一緒に車で2日かけて東北へ。。。。
ガソリンを確保しながらの、移動は大変でした。途中、福島第一原子力発電所の事故のニュースを耳にして、ラジオを聞きながらでも、当時は何が何だか分からない状況で、どの情報が正しいのか全く分かりませんでした。。。
始めて、釜石と大槌の被災地に足を踏み入れた時のあまりの被害の大きさに、声が出ませんでした。
必死に取材を続けて、5日後Jamesとノブさんが一度東京へ帰ることになった。取材を続けなければと思っていても、私は運転免許がなかった。その時、友人のダミルが震災の取材で日本に来ていることを思い出し連絡した。ロイター通信のカメラマンのダミルは、ロイターのチームで岩手の遠野に拠点を置いていた。
免許を持っていない私は、ダミルにお願いし、しばらく車に同乗させてさせてもらった。カメラマンの方たちも記者の方たちも本当に温かい人たちばかりだった。
ダミルにはパキスタンの洪水の取材の時も、お世話になった。ニュースの撮影取材が始めてだった私に、技術面はもちろん、動き方、写真編集の仕方、取材の倫理について本当に大切なことを現場で教えてくれた。
3月の終わりには、タイから取材に来ていた、カメラマンのAthit Perawongmethaも合流した。アティットは、フリーランスのカメラマンとしてGetty Imagesから写真を配信してた。ダミルが帰った後は、2人で福島へ移動。福島での取材を続けた。
日本語の分からないアティットは、自分の資金で日本へ取材に来て、私に合流する前は、通訳を雇わず(日本で通訳を雇うと高いのだそう)、自転車を借りて雪が降り注ぐ東北の被災地を回って撮影をしていたそうだ。
ダミル(左)、私、アティット(右) 気仙沼にて
福島県、双葉町の海岸部を歩くアティット。日本に来る前に、タイで既に防護服とマスクを調達してから日本に来たと言っていた。。。しかも、私の分まで。準備がすごい。